軍用車両生産に追われて・・・
「軍需産業」という言葉から連想されるものは「戦争により金儲けをする人々」、武器を扱うことから「死の商人」といったものでしょうか。
ハーレーダビッドソンの歴史も、戦争とは切っても切り離せないものでした。
二度の世界大戦中、軍需バイクの生産に傾注しすぎてしまった結果、一般モデルの販売がおろそかになり、ユーザーから見放され、他社の猛攻をあび、低迷してしまったという過去があるのです。
サイドカー付きのハーレーに乗るアメリカの警察官といったビジュアルは日本人にとってもお馴染みですよね。
実際、アメリカ軍、市・郡の警察の多くがハーレーを採用し、オプションでサイドカーを付けていました。
最盛期には2500以上の市・郡警察がハーレーを採用していたそうです。
現在50州3006郡あるアメリカにおいてです。
まさに、圧倒的なシェアを誇っていたといっても過言ではありません。
そのようなアメリカにおいて、1914年開戦の第1次世界大戦、1939年開戦の第2次世界大戦において、陸上の移動手段であり戦闘活用もできるハーレーを採用しないはずはありませんでした。
ハーレーもまた、その期待に応えました。
もともと愛国心的乗り物とされていたバイクですから、国のため懸命に生産したに違いありません。
二度の大戦中に多額の利益をあげたハーレー。
一般市場をおろそかにし、戦後に苦汁をなめる結果とはなりましたが、戦場を走るハーレーは多くの兵士の心を助け、愛国心を呼び覚ましたであろうことも、また事実なのです。