AMFの傘下へ
1903年に一般向け1号車を発売したハーレーダビッドソン。
1950年代には、アメリカ国内にライバルと言える規模のモーターサイクル・メーカーはおらず、独走態勢に入っていました。
この1950年代と、それに続く1960年代は、「アメリカの光と影」と称されることの多い時代です。
第2次世界大戦に勝利し黄金時代を迎えた1950年代。
一気に普及したテレビ網を通じてジェームス・ディーンやエルビス・プレスリーといったスターが生まれました。
戦争に勝利したことで生活は豊かになり、消費も活発になりました。
ハーレーの生み出す豪華絢爛な車体はまさに時代のニーズにマッチし、支持を広げていきます。
ところが1960年代に入るとアメリカ経済が一転します。
キューバ危機やケネディ大統領の暗殺、ベトナム戦争のドロ沼化などが、50年代の戦勝ムードを打ち消し経済の停滞を招いてしまうのです。
レース用の車体や、豪華なオプションパーツだけでは会社の経営が立ち行かなくなったハーレーは、これまでとは打って変わって、小型の庶民向けモデルの生産にふみきります。
このモデルは市場から一定の支持を得ましたが、低迷する経済状況にあっては、経営の安定化を確実にしてくれるものとはなりませんでした。
そこでハーレーは株式の公開をし、機械メーカーAMFの傘下に入ります。
他社の傘下に入ってでも、ハーレーの伝統と灯火を守り抜きたいという、強い信念の表れだったのでしょう。
AMF時代のハーレーについて、今も多くのファンが語り継いでいることからも、この選択が正しかったことは間違いありません。