初めて日本を駆け抜けたハーレーダビッドソン
1913 9-E
東日本大震災の津波で、アメリカ西海岸へ流れ着いた様々な漂流物の中に、ハーレーダビッドソンを積んだコンテナがありました。
あの映像に切なさを覚えたハーレーファンは少なくなかったと思います。
新しいオーナーへ納品される途中だった?あるいは修理に出していた?
どのような想像をめぐらせても、あの日の悲劇に遭遇したハーレーが、海を渡りアメリカまで流れ着いた姿を、単なる里帰りと見ることはできませんでしたね。
ハーレーが初めて太平洋を渡り、東洋の小さな島国・日本にやってきたのは1913年頃と言われています。
購入したのは長崎県出身の名門伯爵・伊東 巳代治氏の4男でした。
初めて日本を走ったハーレーはモデル9-E。
12年間にわたりAMF社の傘下にいた時代を終え、ハーレーがハーレーとして再出発を果たした頃のモデルです。
当時の年間生産台数は1372台だったと伝えられていますから、大変貴重な1台であったことは間違いありません。
AMFから独立したハーレーを、世界中のファンが買い求めようと躍起になる中、はるばる海を超えてやってきた9-Eは、道行く人をさぞ驚かせたことでしょうね。
現在でいう個人輸入だった9-Eのあと、1916年には輸入代理店が誕生し、ハーレーの日本における流通が始まります。
日本にはまだカワサキもホンダも無い時代でした。
日本人が初めて見たモーターサイクルは、ハーレーダビッドソンだったのです。
(1913 9-Eの画像引用 先;ハーレーダビッドソンの世界 (平凡社新書)P67)