唯一のモーターサイクルメーカーへ in USA
20世紀初頭にウィスコンシン州ミルウォーキーで創業したハーレーダビッドソン。
現代において、「アメリカの二輪車と言えばハーレー」と多くの人が思い浮かべますが、創業当時は数多くのコンペチター(競合他社)がひしめいていました。
当時を代表するモーターサイクル・カンパニーをいくつかあげてみましょう。
まず「ピアーズ・アロー」。
二段変速とシャフト・ドライブで一世を風靡しました。
この時代に既に時速100kmを超えるスピードを実現し人気を博したのは「ヘンダーソン」。
「クリーブランド」のボディは流線型の低いラインが革新的でした。
そして、ハーレーの最大のライバルと言えば「インディアン・モーターサイクル」。
ハーレーに先んじてツインエンジンを発売し話題になった会社です。
多くのメーカーが乱立したことで業界全体の規模も大きくなったことから、1924年、アメリカ・モーターサイクル協会が設立されます。
まさに業界を挙げてモーターサイクル文化の普及、安全基準の整理などに進み始めた黎明期と言ってよい時代でした。
ところが、この時代は長くは続きません。
1929年ニューヨーク株式市場の大暴落がおこり、世界恐慌に陥ってしまうのです。
ハーレーは軍需バイクの生産・販売でかろうじて生き延びることができましたが、多くのコンペチターが倒産していきました。
最大のライバル「インディアン・モーターサイクル」も倒産してしまい、ハーレーは当時のアメリカで唯一のモーターサイクル・メーカーとなってしまうのです。