立ち上がった13人の男たち
キューバ危機やベトナム戦争のドロ沼化をうけて低迷したアメリカ経済において、ハーレーダビッドソンも同じく混迷の時代を迎えました。
単独では経営がたちゆかなくなる危険から、ブランドの生き残りをかけてAMFという機械メーカーの傘下に入ったのです。
1969年の出来事でした。
それから22年後。
ハーレーは再び、ハーレーになります。
1981年、AMFからの独立、再出発を果たすのです。
一部のファンの間ではAMF時代のハーレーは品質がよくない、という意見もあるそうですが、概してそれは当てはまらないことが今はわかっています。
その理由はいくつかあります。
まず、AMFはもともとハーレーに対して友好的でした。
AMF経営陣がハーレーを愛し、強い興味を抱いていたが故に、最新鋭の機械を導入したり、アパレルのラインをつくりビジネス拡大にも乗り出しました。
傘下に入った1969年には年間1.6万台だった生産ラインが、20数年後には5万台になっていたという数字からもAMFの手厚い支援は見て取れます。
そんなAMFから独立しようとしたきっかけは諸説様々。
AMF経営陣のハーレーへの興味が薄れ、目に見えて経営がずさんになってきたという説もあるそうです。
独立を目指し立ち上がったのは創業者であるハーレー家とダビッドソン家を含む13人の役員たち。
「バイバック」という言葉で今も語り継がれているハーレー再出発は、この13人と独立を支持するハーレー愛好家により実現したのです。